「いじめる子供、隠す大人」…
HPには、漫画作品のことや、できるだけ楽しい話題を
書こうと思っているのですが。
このところの「いじめ」報道をずっとみていて、
私も一言書きたい気持ちになってしまいました。
漫画家になる前、教育学部で教師を目指していたし、
ごく短い期間ではありますが、臨時採用の教員も勤めました。
ある中学校にいたときですけど、若い先生が生徒に殴られて
鼻を骨折してしまいました。
すぐ病院に行かなければならないひどい怪我でしたし、
血が車に飛び散ると化学反応を起こして、拭いてもとれないことを
その時初めて知りました。
その子は相談室で他の先生に指導を受けたと思いますが、
もちろん警察にも通報はしないし、
事件として公にすることもありませんでした。
公にしないことが「子供をかばうこと」「将来のためになる」
と考える教師は今でも多いと思います。
また、事件になれば大変な数の授業が「話し合い」や「人権・道徳学習」にさかれ
ただでさえ遅れている授業の妨げになるというのも現実でしょう。
でも、私はその時も、そして今でも、
子供だからといって自分のしたことに向き合わせないのは
ぜったいにその子のためにはならないと思っています。
必要なら警察でもカウンセリングでも、助けを借りるのは恥ではないはず。
いじめられた子には、学校での安全対策と心のケアがすぐにも必要ですが、
10のうち9までの時間は、「いじめた子」の指導に当てなければ
自分のしたことに向き合わず、罪悪感もないまま、
自分のストレスを他人にぶつけて解消する悪習慣がついてしまいます。
大人になってもこれが直らなければ、将来のためどころか…。
今の学校は、たとえれば本末転倒の消防署のようです。
「火災の予防」に必死に取り組み、力を注ぐけれど、
いざ本当に火の手が上がると「あんなに予防に頑張ったんだから
火事なんか起きるはずがない」と言って消火しようとしない。
教育委員会も、教師の取り組みを評価するのに、
「道徳の授業何時間」「命の大切さについて話し合い何時間」
「報告書の提出何回」といったはかりかたでは何も向上しません。
家庭訪問や個人指導にさくはずの時間を、
教師から奪ってしまうばかりです。
当時から、学校現場ではこういう考え方は少数派だったので
たぶん今でもそれほど変わっていないんだろうと思います。
忙しすぎる先生達や、学校に通うことにおびえている子供達、
悪いことをしても放置されて感覚がマヒしていく子供達。
「見て見ぬふり」をすることには、いったい誰に得があるんでしょうか。
書こうと思っているのですが。
このところの「いじめ」報道をずっとみていて、
私も一言書きたい気持ちになってしまいました。
漫画家になる前、教育学部で教師を目指していたし、
ごく短い期間ではありますが、臨時採用の教員も勤めました。
ある中学校にいたときですけど、若い先生が生徒に殴られて
鼻を骨折してしまいました。
すぐ病院に行かなければならないひどい怪我でしたし、
血が車に飛び散ると化学反応を起こして、拭いてもとれないことを
その時初めて知りました。
その子は相談室で他の先生に指導を受けたと思いますが、
もちろん警察にも通報はしないし、
事件として公にすることもありませんでした。
公にしないことが「子供をかばうこと」「将来のためになる」
と考える教師は今でも多いと思います。
また、事件になれば大変な数の授業が「話し合い」や「人権・道徳学習」にさかれ
ただでさえ遅れている授業の妨げになるというのも現実でしょう。
でも、私はその時も、そして今でも、
子供だからといって自分のしたことに向き合わせないのは
ぜったいにその子のためにはならないと思っています。
必要なら警察でもカウンセリングでも、助けを借りるのは恥ではないはず。
いじめられた子には、学校での安全対策と心のケアがすぐにも必要ですが、
10のうち9までの時間は、「いじめた子」の指導に当てなければ
自分のしたことに向き合わず、罪悪感もないまま、
自分のストレスを他人にぶつけて解消する悪習慣がついてしまいます。
大人になってもこれが直らなければ、将来のためどころか…。
今の学校は、たとえれば本末転倒の消防署のようです。
「火災の予防」に必死に取り組み、力を注ぐけれど、
いざ本当に火の手が上がると「あんなに予防に頑張ったんだから
火事なんか起きるはずがない」と言って消火しようとしない。
教育委員会も、教師の取り組みを評価するのに、
「道徳の授業何時間」「命の大切さについて話し合い何時間」
「報告書の提出何回」といったはかりかたでは何も向上しません。
家庭訪問や個人指導にさくはずの時間を、
教師から奪ってしまうばかりです。
当時から、学校現場ではこういう考え方は少数派だったので
たぶん今でもそれほど変わっていないんだろうと思います。
忙しすぎる先生達や、学校に通うことにおびえている子供達、
悪いことをしても放置されて感覚がマヒしていく子供達。
「見て見ぬふり」をすることには、いったい誰に得があるんでしょうか。
コメント
長いです…(^_^;)
母からの願い・・・
私もそう思います。私の子供達は発達障害です。特殊学級に居ます。余り通常級には行きません。だから、普通の子供達には迷惑を掛けることは無いように思います。それでも子供達から心無い言葉を親の居るところでも、浴びさせられています。親が居ないともっと酷く為ると思います。ジロジロ見られたり、特殊級だから側にいくな!、特殊ヤロー、障害者、障害者と大きな声で、はやしたてられたり、本人が解ってくると、きっと傷つくだろうな。生まれてきたこと、後悔するだろうなと思ってしまいます。学校に抗議しても、解りました指導します。と言いますがどう指導したのか連絡も在りません。道徳もどんな事をしているのか、わかりません。私から言うと予防さえ、中途半端でしたきになっている。そう思えてなりません。どうか心に響く指導と教育をお願いしたいです。そして、親には、子供達に恥ずかしくない様に、後ろめたくないように正直に生きる姿を見せてほしいです。どんな、人も必要とされ幸せに生きて行けるように心から願います。紫堂先生はどう思われますか?
遅レスですが(^_^;)
なかの あきこさん、子供を育てるというのはただでさえ責任のある大変なことなのに、いじめなどの心配もしなくてはいけないのはつらいですね。
でも、お子さんは幸せです(^.^)! 全力で味方になる、守ってあげると言ってくれる親に育ててもらっているのですから!
「子供のけんかに親が出てはいけない」という価値観も以前はありましたが、今は子供をめぐる状況が以前よりも厳しい時代。ちゃんとかかわって、解決のめどがついたのは何よりです。お子さんもとても安心されたと思います(^.^)。
でも、お子さんは幸せです(^.^)! 全力で味方になる、守ってあげると言ってくれる親に育ててもらっているのですから!
「子供のけんかに親が出てはいけない」という価値観も以前はありましたが、今は子供をめぐる状況が以前よりも厳しい時代。ちゃんとかかわって、解決のめどがついたのは何よりです。お子さんもとても安心されたと思います(^.^)。
うまくいえませんが・・・
私には、小学4年生の娘がいます。丁度、中学生の自殺があった頃に班の女の子達から一人仲間はずれにされてました。
二学期からでした。
私や先生に愚痴って、なんとか頑張ってましたが、10月に入って急に忘れ物が増え、先生から、どうなさいました?(家庭ではどうしてるの?)と手紙をもらい、娘、主人、私と話して、人間関係のストレスではないか?と考え、学校を休ませて、先生にも話をしました。
その後、その子達や、親御さんとも話をされたようです。
今では落ち着いてます。
そのときに思ったのは、親は、あなたに何かあったら全力で助ける、あなたは大事な子、と真剣に伝えないといけない、でしょうか。
それから、仲間はずれにしていた子は一学期も、3年生の時も似たことをしていたようです。私、顔を知っている子で、なんといいますか・・・あまり大人から可愛がられてきていないような感じがしました。
仲間はずれをする子は自分がされる前に先制攻撃でそういうことをするのではないか、とも思いました。
いじめ ですが。
気になるのは、した側。
先生がしたから した となんてこと!
その子も親も、なんでも人のせいにして済ませていることが怖いですし、腹が立ちます。
きっと社会にでてもそういう考えで生きていくのでしょう。自分の言ったこと、したことで人がひとり死んでいる、ということと 向きあってもらわないと 浮かばれないと思います。なぜ、そこのところを取り上げないのか、歯がゆい ですよね。
二学期からでした。
私や先生に愚痴って、なんとか頑張ってましたが、10月に入って急に忘れ物が増え、先生から、どうなさいました?(家庭ではどうしてるの?)と手紙をもらい、娘、主人、私と話して、人間関係のストレスではないか?と考え、学校を休ませて、先生にも話をしました。
その後、その子達や、親御さんとも話をされたようです。
今では落ち着いてます。
そのときに思ったのは、親は、あなたに何かあったら全力で助ける、あなたは大事な子、と真剣に伝えないといけない、でしょうか。
それから、仲間はずれにしていた子は一学期も、3年生の時も似たことをしていたようです。私、顔を知っている子で、なんといいますか・・・あまり大人から可愛がられてきていないような感じがしました。
仲間はずれをする子は自分がされる前に先制攻撃でそういうことをするのではないか、とも思いました。
いじめ ですが。
気になるのは、した側。
先生がしたから した となんてこと!
その子も親も、なんでも人のせいにして済ませていることが怖いですし、腹が立ちます。
きっと社会にでてもそういう考えで生きていくのでしょう。自分の言ったこと、したことで人がひとり死んでいる、ということと 向きあってもらわないと 浮かばれないと思います。なぜ、そこのところを取り上げないのか、歯がゆい ですよね。
紫堂先生、お久しぶりです。
人間出来てない人間が言うのもなんですが、
教育って学校だけに限られたことではありません。
社会教育されてない子供どころか
大人もだいぶ増えたようです。
見た目だけ大人。
立派なことを言う人は多いのですが
「その根底にある思考や行動が幼稚」な人の
なんと多いことか。
昨今の事件を報道で見て
楽して後で後ろ指差される道よりも
今は辛く厳しくても胸張って進める道を選びたいと
思うのでした。
虐められてる皆さん
「虐められても決して死なないで!!
きっと救いの手を伸ばしてくれる人はいるはずです。」
命を捨ててしまったら決してやり直しがききません。
人間出来てない人間が言うのもなんですが、
教育って学校だけに限られたことではありません。
社会教育されてない子供どころか
大人もだいぶ増えたようです。
見た目だけ大人。
立派なことを言う人は多いのですが
「その根底にある思考や行動が幼稚」な人の
なんと多いことか。
昨今の事件を報道で見て
楽して後で後ろ指差される道よりも
今は辛く厳しくても胸張って進める道を選びたいと
思うのでした。
虐められてる皆さん
「虐められても決して死なないで!!
きっと救いの手を伸ばしてくれる人はいるはずです。」
命を捨ててしまったら決してやり直しがききません。
毎日新聞の記事
皆さん、書き込みありがとうございます。自分が子供の時を思い出しても、こういう問題と無縁どころか、ずいぶん悩んでいたことが思い出されます。多くの人が、いじめられたりいじめたりする立場や、おそらく両方の立場を経験していると思います。
11月7日付の毎日新聞に、こんな記事が載っていました。
いじめ調査:やる方が「悪い」は半数以下 希薄な罪の意識
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061107k0000m040168000c.html
いじめた子に理由を聞くと、たいていいじめられた子の悪口をあげて「〜だからいじめた」と簡単に結論づけてしまいます。
いじめる行為は、こういう表面的な理由とは関係がありません。強いストレスを受けて毎日イライラしている子供が、おとなしい子に自分のストレスをぶつけている図式があるだけです。
他人にストレスをぶつけるとちょっとすっきりとして、それで罪悪感もあまり感じずにすんでしまう。
落ち着いた家庭で、家族の一員として大事にされ、毎日の暮らしを楽しめる子は、ふだんひどくイライラすることはありません。少しばかり人と違っているからといって、他人に怒りを抱いたりはしないものです。
「本当に幸せな子はいじめない」のです。そして、そういう子の数は、思っているよりずっと少ないかもしれません。
おとなしい子が、他人のストレスや怒りを勝手にぶつけられて、「自分のどこがいけないんだろう」などと自分を責めたりするのは本当に悲しいことだし、大変な間違いです。
子供は、家庭と学校生活が人生のすべてで、それ以外の世界がなく、逃げ場がありません。大人になって行動範囲が広がり、職場もすむ場所もつきあう相手も自分で決められるようになると、自殺にまで追いつめられる前に、もっと心地良い居場所を捜すことができます。
特定の誰かとうまく行かないからと言って、全世界から嫌われているわけではありません。他の場所で暖かく迎えてもらえることもある。そんな体験をしながら大人になれれば、「大人になる」ことは、ずっとすばらしいことと感じられるはず。
つらい思いをしたことのある人こそ、そういう経験を子供達に伝えてあげて欲しいと思います。子供の世界は、この情報があふれる現代でも、とても狭くてきゅうくつなままなのだと思います。
11月7日付の毎日新聞に、こんな記事が載っていました。
いじめ調査:やる方が「悪い」は半数以下 希薄な罪の意識
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061107k0000m040168000c.html
いじめた子に理由を聞くと、たいていいじめられた子の悪口をあげて「〜だからいじめた」と簡単に結論づけてしまいます。
いじめる行為は、こういう表面的な理由とは関係がありません。強いストレスを受けて毎日イライラしている子供が、おとなしい子に自分のストレスをぶつけている図式があるだけです。
他人にストレスをぶつけるとちょっとすっきりとして、それで罪悪感もあまり感じずにすんでしまう。
落ち着いた家庭で、家族の一員として大事にされ、毎日の暮らしを楽しめる子は、ふだんひどくイライラすることはありません。少しばかり人と違っているからといって、他人に怒りを抱いたりはしないものです。
「本当に幸せな子はいじめない」のです。そして、そういう子の数は、思っているよりずっと少ないかもしれません。
おとなしい子が、他人のストレスや怒りを勝手にぶつけられて、「自分のどこがいけないんだろう」などと自分を責めたりするのは本当に悲しいことだし、大変な間違いです。
子供は、家庭と学校生活が人生のすべてで、それ以外の世界がなく、逃げ場がありません。大人になって行動範囲が広がり、職場もすむ場所もつきあう相手も自分で決められるようになると、自殺にまで追いつめられる前に、もっと心地良い居場所を捜すことができます。
特定の誰かとうまく行かないからと言って、全世界から嫌われているわけではありません。他の場所で暖かく迎えてもらえることもある。そんな体験をしながら大人になれれば、「大人になる」ことは、ずっとすばらしいことと感じられるはず。
つらい思いをしたことのある人こそ、そういう経験を子供達に伝えてあげて欲しいと思います。子供の世界は、この情報があふれる現代でも、とても狭くてきゅうくつなままなのだと思います。
いじめなのですが・・・
紫堂先生は理由をご存じ頂いていると思いますが、僕はある障害がある為にさんざんいじめられてきました。差別もうけてきました。知らない人に通りすがりに後ろ指をさされ笑われてきました。ですが、僕自身はやり返したことも相手を恨んだこともありません。自分自身の存在を考えたときに、自分の周りにそういう人間がいたのなら理解不能であることを十分理解できたからです。憎むべきは自身でした。しかし、反面 感情的にはどうしていじめられなければならないのか?とも思いました。ただ、いじめる側にも実は十分な理由があることがわかりました。その最終的な理由が例えおもしろ半分だったとしても。。。いわゆる存在の主張です。いろんな感性の子がいますから非常にこれというのは難しいのですが 存在の主張を出来る子はいじめる側でもいじめられる側でも自分が生きているということが当然で自分の事が好きだから感情を優先することが多いように思います。自殺という手段のなかで発作的な場合をのぞいて自分が苦しい思いをしたくないから。。。という場合も多くあると思います。僕の障害はある意味特殊でその中でも自分で自分の存在を納得できなかったことから自分より生きていて当然の人を大事にするためには自分の苦しみを優先することが罪悪でした。そうして相手を苦しみながらも見てみると 図に乗っている相手が夢中の間はよいのですが相手がこちらの存在を怖いと思い出すとひどくなったり逆にブロックできたりもします。こちらにも感性があるのだということが理解できたとき、態度が変わってきます。いじめる子は自分が規格外になることを恐れ、いじめられる子もまた規格外になることを恐れて苦しみます。そういう事を規格内にいる大人が規格内で論議しても決してわかることはありません。僕は、規格内に入らなくて規格内を目指し、規格内に居るため自分を殺し、それでも規格内に入れない自分をはっきりと見せつけられ苦しみ自覚し、理解して今に至ります。だから、本当に苦しい人に選択肢を与えてあげたい。いじめる方もいじめられる方もそれを見ている人にも与えたい。何が食い違っているのかを見せてやれるのは苦しみを越え、その記憶を残し、なお情を捨てず、理想を幻想にしない精神力をもった人間だけだと思います。非常に難しいし苦しいことです。何がどうしてどう悪いのか?白、黒ではないのです。けれど、僕は自分がそうなりたいと思っています。社会にそぐわなくても自らの命としてのチャレンジだと思っています。規格外であったことをよくする為に。紫堂先生はそういうことをうまく絵にして感性で伝えてくださる。ありがたいと思っています。自分を愛することはよいことです。けれど、愛しすぎてはいけない。それがわかる人が命とふれあうことが大切だと思っています。
最終的には、国民が知恵をつけないことは、国などの一部の権力者の得になります。
もちろん国全体としてはマイナスです。
朝三暮四的な性格の人間が増えれば、詐欺的な誘導も楽だから。
もちろん国全体としてはマイナスです。
朝三暮四的な性格の人間が増えれば、詐欺的な誘導も楽だから。
「心のケア」というのはわりと最近言いはじめられた
言葉だと思うのですが、本当に「ケア」しているのか、
されているのかは甚だ疑問です。
昔からそういった学校内での歪みに耐えられなくて、
「学校」という存在から逃げようとしてばかりいた
自分には、その囲いの中でどうしたらいいのか、
改善の方法はいまだに上手く言葉にできません。
でもひとつ、どうしてそうまでしてそこに捕らわれて
いるのかな、という疑問はあります。
死んじゃったり、殺しちゃったり、呪っちゃったりする
パワーがあれば、学校の外で生きて行く事なんて
そう難しいことじゃない。
生きている事の方が何倍も大事だと言う事に
気付いて欲しいです。
またそう言ったヒントを与える事こそ「教育」
だったり「ケア」だったりすると思うのですが・・・。
難しいですね・・・。
言葉だと思うのですが、本当に「ケア」しているのか、
されているのかは甚だ疑問です。
昔からそういった学校内での歪みに耐えられなくて、
「学校」という存在から逃げようとしてばかりいた
自分には、その囲いの中でどうしたらいいのか、
改善の方法はいまだに上手く言葉にできません。
でもひとつ、どうしてそうまでしてそこに捕らわれて
いるのかな、という疑問はあります。
死んじゃったり、殺しちゃったり、呪っちゃったりする
パワーがあれば、学校の外で生きて行く事なんて
そう難しいことじゃない。
生きている事の方が何倍も大事だと言う事に
気付いて欲しいです。
またそう言ったヒントを与える事こそ「教育」
だったり「ケア」だったりすると思うのですが・・・。
難しいですね・・・。
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私は漫画家になる前、臨時採用の教員をしていたのですが、そのころの1年間を、障害児担当の補助教員として過ごしました。私が勤めていた学校では、特別にクラスを分けず、障害のある子も一般教室でみんなと一緒に授業を受けていました。ただ、授業にはなかなかついて行けないので、その子の専属として1年間、学習の補助をするのです。
当時3年生の男の子を担当しましたが、学習にはついて行けないものの、遊びやおしゃべりは人一倍元気な、甘えっ子でした。でも、最初は自分だけに特別な先生がついていることに、相当違和感を覚えたみたいで、「側に来ないで」「あっち行って!」と拒否されてしまいました(^_^;)。「みんなと違う」ことがイヤでたまらなかったんですね。
それで、考えた末、他の子の算数を助けたり、クラス全体の机間巡視をしてまわり、遊び時間になっても、その子をとりたてて構いませんでした。クラスの生徒達が私のことを「先生、これ教えて」「ここはどうするの」「先生これ見て!」などと呼んでくれるようになると、今まで拒否していた男の子も「先生、こっち来て!」 …私も、にっこり笑いながら、心ではしめしめと、裏読みが当たった隊長さんみたいな気分でしたよ(笑)。それからはとてもスムーズに行きました。
私はその子の専属担当と言うことで教室に入っていて(担任の先生はちゃんとおられました)、目的ばかりに集中して、周りが目に入っていなかったのですね。その子からは本当にいろいろなことを学ばせてもらいましたが、クラスの子供たちも同じでした。その子がいてくれたからこそ、皆が楽しく遊べるように工夫したり、譲ったり、そうかと思えば対等にけんかしたり、「人はそれぞれ違っていて、配慮は必要だけど、対等なんだ」と実体験で学ぶことができたと思います。周りの子の方が、学ぶことは多かったかもしれません。
心ない言葉ではやす子供がいるのも事実ですが、その子達は、自分と違った子供達と、接した経験がないのです。「どこかの、知らない、変わった子」なら、相手の気持ちも考えずに言いやすいのでしょう。
rin.rinさん、今度そんな子にあったら、にっこり笑って話しかけてみませんか。「こんにちは、この子は○年生で○○というの、私はそのお母さんよ」とか。最初はびっくりして、ただ逃げていってしまうだけかもしれませんが、少なくとも相手にとって「どこかの知らない子」ではなくなります。それに、子供なら、自分ににっこりとほほえみかけてくれる人を、悪く言うことは難しいんですよ。
それですべてが解決できるわけではないかもしれませんが、お子さんが貴方にとって世界一大切な宝物だと言うことは、誰がなんと言おうと揺るぎないことです。それを、お子さんにはっきり伝えてあげてくださいね。
誰かに言葉でからかわれたり、けちをつけられたりすると心は痛みますが、それでダイヤモンドの価値が下がったりはしません。人の言葉と、自分の本当の価値は無関係です。お子さんが、お母さんから、自分の価値を心底信じさせてもらっていること、それが一番大切だと思います(^.^)。